畳はどのようにして生まれたのか

日本の家には畳があるっていうのが当たり前のようになっています。

最近では畳のない家も増えてきたので寂しいですね

では、畳はどのようにして生まれてきたのでしょうか。

現在残っている一番古い畳は、正倉院に保管されている御床畳(ごしょうのたたみ)です。

正倉院は聖武天皇の宝物が残されているので、聖武天皇が使われていたのだと思います。

では、どんなものだったかは木で組まれた台に、真菰を並べてその上にいぐさを編んだものを乗せて動物の革をヘリにしていたようです。

古事記にも畳が記されているのでこの時代に畳があったという証拠になります。

聖武天皇とはどのような方だったのでしょうか。

724年に第45代、聖武天皇に即位します。

それから様々な災いが起こり、仏教で日本を治めようとします。

それで、741年に国分寺、国分尼寺を建てます。

そして、今度は東大寺と大仏を作ることを命じます。

あとは、墾田永年私財法を発布した人みたいですね。

もしかすると、仏教を信仰したようなので中国やインドで似たようなものがあったのかもしれませんね。(憶測です)

時代が進み平安時代になると、寝るための木枠の上に畳を敷くという形から、座るための台として使われるようになりました。

また天皇や貴族などの位によってヘリの色が違います。

雛飾りでお内裏様とお雛様が座っているのは畳です。

ヘリがカラフルなヘリですよね。

繧繝縁(うんげんべり)と言います。

位によって柄が違います。

ひと昔前は簡単に仕入れることはできませんでしたが、今では仕入れることができるようになりました。

源氏物語でも畳が出てきます。

菅畳、皮畳、絹畳などの表記で出てくるんですが、訳では薄縁と書いているので上敷きや寝ゴザのようなものでしょうか。

でも、お雛さんの座っているような畳で厚みがあるので、中身はもうわらだったのでしょうか。

稲作が盛んになっていたのでわらは豊富にあったでしょうから、わらを積み重ねて土台にしたのかもしれません(憶測です)。

鎌倉時代には武家住宅でお客様を迎える部屋を作るようになります。でも、まだ畳は敷かれておらず、座敷の原型のようなものがつくられます。

 

時代はすすみ、室町時代になると書院造りという家の形ができてきます。

書院造りとは具体的な定義はありませんが、一般的に床の間がある座敷のことを指すようです。

この頃の家の作りは引き違いの戸ができ、部屋を間仕切るようになりました。

すると、部屋に畳を敷き詰めるということをするようになります。

ということは畳の使われ方は室町時代に確立されたんですね

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