どうして私は畳屋になったのか


ホームページを作り、ブログを書いたりしていましたが

私自身のことは書いていなかったことに気づきました。

 

まずは、なぜ畳屋になったのかということを書きたいと思います。

 

簡単にいうと家が畳屋だったので、跡を継いだということでしょうか。

でも、小さい頃から跡を継ぐとも継がないとも思っていなかったのが正直なところで

母親からは継ぐなともいわれていました。

ただ、漠然と大きくなたら畳屋になるかなとも思っていたのも事実です。

 

少年野球をしていたころはプロ野球選手になりたいなんて思っていましたね。

中学生になると、野球はやっていましたが、実力がわかってくるもので

プロ野球の選手にはなれないと気づきます。

その頃に興味を持ったのが車です。

1987年に中嶋悟がF1にフル参戦することになり、日本ではF1ブームになります。

僕はF1に魅了されて、車に興味を持ち始めます。

 

それで、車に関する仕事に携わりたいなと思います。

レーシングカーにも触れてみたいなと思います。

高校の進学に車に関することを学びたいなと思います。

それで、大阪産業大学高校を選びます。

でも、ここでちょっと躓きます。

その時の大阪産業大学高校は、どの科も同じ5教科の試験を行います。

5教科とは国語、数学、理科、社会、英語です。

なので、第3希望まで書くことができました。

僕は第1に普通科を志望します。

で、とりあえず第2希望に自動車科を書きました。

第3希望はほかに行く気はなかったので書きませんでしたね。

受験の1週間ほど前に受験の倍率が新聞に載りました。

その時普通科が9.2倍くらいだったと思います。

「あ~ダメだ」と思いました。

まっ、それでも一生懸命受験には臨みました。

結果は第2希望の自動車科に引っ掛かりました。

これで、3年間車の勉強をすることになりました。

 

次の進路は大学です。

特に勉強をするわけでもなかったので受験をする必要のない、

大阪産業大学の自動車科に進むことにしました。

系列の進学なので日々の評定と実力テスト5回分の平均点で

合否が決まります。

これは軽くクリアしました。

 

ということで5年間車のことを勉強することになります。

 

で、高校卒業でとった3級整備士、短大卒業でとった2級整備士があるので

短大卒業で自動車ディーラーに就職します。

 

ここまで全く畳屋のことはでてきません。

夏休みなどで仕事を手伝うことはありましたが、

仕事を教えてもらうということはありませんでした。

 

働き始めて1年ちょっと過ぎたころに大きな変化が起きました。

父に癌が見つかり、結構手遅れな感じでした。

 

その時に長男のちょっとした責任感が目覚めたのでしょうか。

畳屋を継ぐことにしました。

なるとは言ったものの畳屋の修業は全くしていなかったので、

ここからがちょっと大変でした。

 

もう少し気持ちの揺らぎみたいなのはありますが、

こうやって私は畳屋になりました。

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